美しいもの

高校の頃、「三平方の定理ってきれいだよな?」といったら周囲に引かれた。
まあ、わからないでもないが、そんなに目に見えて引くこともないと思う・・・


最近、「ラムダ計算って美しい理論体系だなあ」といったらやはり引かれた。
同じ階の先生が同じことをおっしゃったときに喜んで賛同した。


世の中で一番美しい定理はe^iπ=-1という式だ、という人がいる。
まあ確かにきれいだ(もっとも私は-e^iπ=1のほうがいいと思っている)。
ただ、これが「人工物として作られた定数群(-1、π、i、e)から究極ともいえる1が出てくるから」美しいという理由が多いような気がする。
どっちに転ばないとも限らないぎりぎりのところで平衡を保っているこの式を見て、美しくないとまでいう気はない。
ただ、私の美しいの基準はやや異なる。
はっきり言えば、この式が何か役に立つかといわれれば、何の役にも立つまい(無論これの元になる理論は非常に役に立つ。あなたが知る知らないに関わらず)。


三平方の定理は柔軟で応用に富む。少なくともユークリッド空間では。
ラムダ計算はプログラミング言語に多大な影響を与えた。計算可能性、カリー化、高階関数型理論Lispと関数クロージャ、もっと極端に言えばプログラミング言語全般。


美しいというのは、複雑で意外なものである必要はない。これはほとんどの人が同意すると思われる(少なくとも2次方程式の解の公式を美しいと聞いたことは一度としてない)。
理論や定理の美しさとは、素朴さ、そして強力さだろう。
それ自身がどれほどの影響を周囲に及ぼしうるか、そしてそれ自身の理解はどの程度簡単か。


どれだけ考えても自分の体系からラムダ計算のエレガントさの欠片も出てこないときに思ったことをつらつらと書いてみた。
いつか「美しい」体系を自分で作ってみたいものだと思う。多分無理だが。