等しいとは?
昨晩寝ようと思ったときに、ふとどこぞのブログで無限がどうこう、という話があったな、と思い出した。
少し考えてしまったおかげで寝るのが遅くなったのだが・・・
というわけで、少し考えてみる。
有限の大きさ
1個のお菓子が入った袋と2個のお菓子が入った袋がある。
どちらの方が量が多い?
いや、別にとんちとかそういったものではないので、当然後者の方が多い。
これは別に必死に何か説明しなくてもいいと思う。
説明するとしたら高等な数学か哲学か心理学か・・・多分その辺りが必要になると思うし、自分には多分そこまではできない。
今度は数字付きのお菓子があったとして、方や1と書かれたお菓子だけ、方や1と書かれたお菓子と2と書かれたお菓子。
当然後者の方が多い。
特に、後者は全社の中にある1と書かれたお菓子を持っているので、後者は前者を含む。
逆は成り立たないので、真に含むと言える。
じゃあ話を少し進めて、方や奇数の書かれたお菓子を一つだけ入れた袋を集めたもの、方や奇数とその次の偶数(3なら4、15なら16と言った感じ)のお菓子を一つずつ入れた袋を集めたものを考える。
それぞれの集まりには同じ数字がないと仮定すると、後者の方が多い・・・のはまあ当たり前。
当たり前なのは、これが有限であれば、という条件付なのだが。
無限の程度
無限にすると話が変わる。
それぞれの袋の集まりを無限集めたとしたら、果たしてどちらが多いのだろうか?
残念ながら、有限の範囲をそのまま持ってくるのはちょっと問題になる。
なぜなら、どちらも無限にあるから、単純に多いとか少ないとか議論できない。
たしかに後者の方がお菓子に書いてある数字は多いのだけれども。
数学上は無限の程度を表す濃度と言う概念がある*1。
今はまじめにこれについて説明する気はないのだが、上の二つの集まりの濃度は同じである。
無限の等しさ
確かに二つの袋の集まりは同じ濃度の無限なのだが、二つの無限は果たして等しいのか?
直感的にはNo。なぜなら後者が前者を真に含んでいるから。
濃度はYes。
いやいや、しかし・・・
はて、ところで、等しいとは何ぞや?
等しさの定義
だんだん「等」という語がゲシュタルト崩壊を起こしつつあるけれど・・・
一般に等価関係とは以下の三つを満たすものを言う。
- 反射律:AはA自身と等価である。
- 対称律:AとBが等価ならば、BとAは等価である*2。
- 推移律:AとBが等価で、BとCが等価なら、AとCも等価である。
わかるようなわからないような・・・
で、一般の等しさは上を満たす*3。
しかし、「濃度の等しさ」も実は上の三つを満たす。
ならば濃度が等しければ等しい無限だと言える?
いやいや、でもさっきの話からすると、なんだか直感に反してるような・・・?
なんか変な話?
結局のところ、直感に反している理由は、単純に「濃度の等しさ」で無限の程度を測っているから。
実際、等しいの程度を変える方法なんていくらでもあって、たとえば上で言う反射律だけを満たすものも等価関係として妥当だし、等しいものはかなり直感に近いレベルで等しい*4。
では、なぜこの等しさを使わないのか?
困ったことに、この等しさの尺度は、あまりうれしくないのだ。
たとえば数字ではなくアルファベットのa,b,c,d,e,f,g,h,i,jを0から9に当てはめてお菓子を作り直しても、それはもはや数字のお菓子の量とは等しくもなんともない。
直感的には(ただ単に文字を置き換えただけだから)量が等しいのに!
これを許容するために濃度で測っているわけなのだが、なんともむずがゆい話になっている。
つまるところ、気持ちの悪い「無限の程度」は、このように「妥当な範囲」で広げた結果「直感に反するもの」まで等しいと見てしまっている状態である、と言える。
まあ、妥当って何?と聞かれると弱るのだが、それは少なくとも「直感」ではない*5。
感想
間違えちゃいけないのは、あなたの言う等しさと、他人の言う等しさは必ずしも同一ではない、ということである。
議論と言うのは注意しないといけないんだな、と。
まあ、そんなことの前に、どうでもいいことを考えて睡眠時間を削ってしまう癖こそもっとも注意すべきな気がするが。